義という言葉にはいろんな意味がある。

義理・節義・正義・義務

孟子の言葉にも「仁は人の良心なり、義は人の道なり」とある。

ようするに人として正しくいく為には義が必要なのである。

最近の風潮を見ていると、この義が失われている気がする。権利ばかりを主張して義務を果たさない人が増えている。モンスターペアレンツ・フリーター・政治家・変な男女平等活動家などなど・・・。それぞれ親の義務、労働や納税の義務、リーダーとしての義務、女として義務を放棄して自己保身的な権利を主張している。

社会もこれを価値観の多様化や個性という言葉で容認している。社会が容認するからこれらの人間が増殖するのである。

「義」をなくしては社会は成り立たない。社会の構成員が「義」を重んじれば「和」が保たれる。お互いに尊重し助け合い協力して生きているのである。

少し前ではあるが、電車内で女性が強姦される事件があったが、犯人にすごまれ誰も見てみないふりをしたと報道された。今は携帯があるのだからこっそりトイレにたった振りで携帯で110番することも出来たであろう。車掌を呼ぶことも、みんなで一緒に注意することも可能である。確かに自分に身の危険を感じたら他人を助けるどころではないのかもしれないが何とかできなかったものだろうか。

被害者の方は強姦された事実よりも誰も助けれくれなかった事実の方が心に深い傷を負うのではないだろうか。ようするに社会から見捨てられたのである。

このような風潮は個人主義がもたらした弊害である。ようするに他人事で自分には関係ないことと考えているのである。しかし治安が悪化すれば自分も被害者になりかねないのだから本当は他人事ではない。

地域社会があったころは、「世間の目」という抑止効果があったから日本の犯罪発生率は先進国の中では著しく低かった。「人様に迷惑を掛けない」という義が小さいうちから徹底的に叩き込まれた。今の教育は個人主義で権利の学習はするが義務の学習はしない。

こないだ東京に行ったときに社内で携帯電話をしている外国人がいた。誰も注意をする様子はない。そこで僕が行って注意したら凄い目で睨まれてしまった。

みんなが少しの勇気を出して「正義」を守る行動をすればきっと社会はもっと住みやすく安全なものに変わるであろう。

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勇気とは

勇気とはなにか。勇ましい気と書くので困難な状況へ進んで臨んで行くことだろうか。

自ら望んで困難に向かうのは本来の勇気ではない。

勇気とはどのような困難な状況に遭遇しても冷静な判断と行動が出来ることである。従って高いところこら飛び降りたり、怖い物へ向かっていったり、強い者へ戦いを挑むことが勇気ではない。

本当に勇気のある人間はどのような状況に置かれても冷静に最善の方法を考え行動する。異常な状況で平常心をいかに保てるかが大切なのである。そのためには日常でに心がけ訓練が重要になる。

最近の人は、この本当の勇気と見せ掛けの勇気を履き違えているように思える。

例えば愛する女性と一緒に時に、チンピラに絡まれたら女性を守るためには、逃げたり謝っりすることも勇気である。下手にケンカが強いからといってケンカをはじめたのではその間に女性を連れ去られたり暴行されたりしてしまう。一見逃げるという屈辱的な選択でも愛する人を守るためには実行に移すのが勇気である。

立ち向かうべき時と引くべき時をその場の状況から冷静に判断し実行に移す。今の状況で本当に大切なのは何なのかを理解して行動するのが勇気である。

今の政治家に勇気はあるのだろうか?本当に戦うべきときに戦って、引くべき時に引いているか。自分に信念をもっていればおのずと判断がつくであろう。しかし自己保身にばかり気が向いていては勇気のある決断など出来ない。

経営者も一緒である。顧客や社員を守るためには何をすべきかを勇気をもって決断する必要があるのである。

この本当の勇気を兼ね備えたリーダーが少しでも多く現れれば、日本ももう少しましになるのではないだろうか。

立ち上がれ若人よ!!

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悲しみの感情

最近とても悲しい出来事があった。詳しい内容はちょっと書くことが出来ないが久しぶりに大きなショックを受けた。いつになったら立ち直れるだろうか・・・。

人の悲しみから立ち直るにはそれなりのプロセスがあるそうな。

①ショック

 その出来事に遭遇したまずは驚きとショックの感情で満たされる。あまりにショックが大きいと現実が把握できずに頭の中が真っ白になってしまう。このときに慌てて行動をするととんでもないことをしてしまうので慎重になれねばならない。でもショック状態で慎重に行動するには相当に精神力が必要になるであろう。僕もいくつか怪しい行動をしてしまった。

②悲しみ

 ショック受け少し時間が経ってくると少し冷静になり現実を認識し、悲しみの感情が沸き起こってくる。悲しみや淋しさ虚しさなどの感情が入り乱れて自分では処理できなくなってくる。友人に電話したり会ってみたりして同情や共感を求めるようになる。それでうまく心の整理が出来れば悲しみから立ち直ることができる。しかし誰も頼る人がいないとより深い悲しみへと向かい自虐的になり、最悪の結果を招くこともある。

③怒り

悲しみが度を越えてくると今度は怒りに変わってくる。こうなると暫くは誰も手を付けられない。慰めても共感してもなかなか怒りが収まらない。原因の本人が謝罪してもすぐには受け入れることが出来ない。手の付けられない状態である。この状態が長く続くと精神に異常をきたす場合すらある。

④癒し

怒りは非常に精神力と体力を消耗する。従っていつまでも怒っていられる人は少ない。怒りが続くと疲労してきて自然とそこから抜け出そうとする自衛本能が働く。すると怒りが自然と収まって癒しの方向への向かうのである。ここで共感や同情が得られるとより早く悲しみから立ち直るのである。やっと他人の意見などを聞き入れるようになる。

⑤忘却

 この段階にくると悲しみの心は完全に癒され、悲しい出来事があったことすら忘れてしまうのである。これで本当に癒されたことになる。忘れるということは心を正常に保つためにはとても重要な能力なのである。忘れることが出来ないといつまでもねちねちと思い悩み立ち直ることが出来ない。楽天的な人はこの忘却が早いのである。だからいつまでもくよくよせずに次の事柄に心を移すのである。

まあ大体どんな人でもこのようなプロセスを経て悲しい出来事から立ち直って行くのである。このプロセスを正常に通過しないとなかなか立ち直れない。また他人に悲しい出来事があった場合もその人がどの段階にいるのかを把握して対応を変えないと逆に感情を逆なですることになってしまう。

今回の僕の場合はあまりにショックが大きかったので、怒りのプロセスが非常に短く、諦めの感情へと移行してしまった。自分で言うのは何だが癒されるまでは時間がかかりそうである。誰かが愛の手を差し伸べてくれると嬉しいのけれど・・・。

ちなみに悲しみや怒りの感情は思いっきり表現した方が癒しが早いらしい。泣いたり怒ったりするのはみっともないと思い、内に秘めているといつまでたっても癒されないのである。

僕も誰かの胸の中で泣いてみたいものである。孤独が身に沁みる今日この頃です。秋だなぁ。

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居合道

昨日は居合道をしに水戸の東武館に行ってきました。133年の歴史を誇る名門の武道場です。流派は北辰一刀流と新田宮流です。新田宮流は桜田門外の変で井能を斬った流派だそうです。一撃必殺の秘剣だそうです。

居合の真髄は心の平静です。そのために細かな礼儀や動作があります。東武館の先生はこの動作とその理を説明していただけるので大変分かりやすいです。刀を振り回すことよりも大切なものが沢山あり、それを正しく行うことにより、綺麗に刀を振れるようになります。まさに心技一体ですね。

今まで日本を規律や躾は厳しすぎると思っていましたが、全て理があることが分かりこれを守っていく必要性を強く感じました。幼い頃に正しい躾をしておけば、今のように残酷な犯罪が増えることもないと思います。

同様に茶道・華道・書道・柔道・剣道など道の付くものは、心を鍛錬するものでありそのために最も効果的な動作が定められているのです。これを通して躾を行い、他人に迷惑を掛けない、自己中心的にならないという集団で生きてゆくために基本を学ぶのです。

小学校では算数や理科の勉強をするより、このような道の学習時間を増やせはよりよい社会が築けるのではないでしょうか。

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向上心

昨日は若手の経営者と人材育成の勉強会でした。

人材育成に熱心なのも凄いのですが自分自身も向上させようとする気持ちに強く感心させられます。それぞれがインターネットや書籍で様々な情報を持ち寄って、それをベースにいろいろなアイディアが出されます。

こういう経営者ばかりなら日本の社会ももっと良くなるのになぁと思いました。仲間の一人が思い出したのがこの勉強会の目標でした。なんとそれぞれの業界で茨城で一番になること。一番の意味は売上とか利益じゃなくて品質で一番。

今回の勉強会で新しいテーマというが目標が決まって、次回までの宿題も出てみんなやる気満々です。

その後は人材育成は仕事のことだけでないく精神論も大事だろうということで、みんなに時間を割いていただいて、僕がライフワークにしようとしている「日本人としての誇りを取り戻す」活動の様々な決め事していただきました。こちらの詳細はmixiにコミニティに記載しておきます。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=3582901

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武士道 その壱

日本人の心のよりどころになるのが武士道である。ラストサムライでも紹介されたからご存知の方も多いであろう。武士道についてもっと有名な著書は新渡戸稲造の「武士道」である。彼がアメリカに居る時に日本人に対する諸外国の誤解を解くために英語で書かれたものである。

武士道とは封建制度の支配階級である武士のあるべき姿である。士農工商のトップに君臨するものして自らを戒め、支配者としてふさわしい行動の指針となるものである。

従って現在でも支配者階級というかリーダーとなるものにとっては意味深いものがたくさんある。今の政治家や官僚や経営者をみているとこの武士道の精神からすれば恥ずかしいことばかりである。自己の利益と保身のために社会を利用している姿は仡を通り越して惨めにも見える。

武士道が大切にしたものは「義・勇・仁・情・誠」のキーワードである。

次回からはこれらについて説明及び僕なりの見解を書きたいと思います。

今日はこれから社長会のメンバーと人事問題についての勉強会です。「企業は人なり」。社員の働きやすい環境づくりは経営者の責務であるので一生懸命勉強してきます。

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男女平等参画って

縁あって水戸商工会議所青年部の代表として水戸市男女平等参画推進委員会の委員に任命され、本日委員会に参加してきました。

多岐に渡る施策が行われており、285事業に約185億円が使用されている。水戸市の一般会計が約826億なので相当の規模である。

改めて男女平等を考えてみると今の世の中はどうなのだろう。

水戸市男女平等参画基本条例によると、「男女平等参画」の定義は「男女が社会の平等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、男女が対等に社会的、政治的、経済的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うことができることをいう。」とある。これは憲法の「法の下での平等」によるものだそうである。

この定義のよって各施策を精査してみると本当に必要なのかと疑問に思う施策も少なからずある。

定義をみてみると、「自らの意思で~参加できる機会が確保」とある。これは結果の平等ではなく機会の平等である。従って例えば「管理職の女性比率を何%にする」とかの数値目標は視点が狂っているのでないか。管理職への登用に公平なルールがあればその結果が男性ばかりでも女性ばかりでも問題はないはずである。「公平なルール」は経済活動を行う企業では経済合理主義が反映されて当然である。数値化できるもの、出来ないもの様々な要素があって、各企業が経済合理性に従ってルールを決めているわけで、何も一方の性を排他しようとする意思はないであろう。そんなことをしたらせっかくに人材を失ってしまう。企業で最も重要な資源は人である訳だからまともな経営者なら優秀な人材はなんとしても確保したいのである。その結果、社員が男性だけだったり女性だけだったり半分半分だったりという結果があるわけで、結果を最初に決めてしまってはおかしなことになってしまう。

「利益を享受できる」とあるが男女平等が利益的観念でとられらるのはおかしくのでは無いかと思う。利益となると誰かに利益があれば、他方に不利益がある。損得勘定で男女の関係を捉えるのはおかしい。人間には訳あって男女の性別がある。男には男の女には女の特徴があ。これを「男らしい」とか「女らしい」という言葉は使ってはいけないらしい。本当の男女平等は、お互いの性差を理解した上で、役割の違いを認識し、それぞれに尊敬と感謝の気持ちで接することではないだろうか。「男らしさ」や「女らしさ」はもっといい意味で理解されるべきである。

経済や科学技術が発達して生活は便利になったが、それと引き換えに人間は生物であるという基本が忘れられていると思う。人間に男女があるのも必要だからである。必要がないなら生殖もアメーバのように単体で細胞分裂をすればよいだ。しかし人間は男(オス)の精子と女(メス)の卵子が受精して、女性の体内で成長して出産される。

よく女性が強くなったといわれるがそうではないのでないか。男性が弱くなったから女性が強くならざる得なかったのだろう。原始時代では食糧確保、現在社会では経済力などで女性が安心して子供を産み育てられる環境をきちんと男性が確保してあげられれば女性は女性ならではの特徴である出産と育児に専念できる。こういうことを書くと女性は子供生むための道具がと批判を受けるかもしれないがそういう意味ではない。人間で子供を生むための子宮と乳を与えるための乳房があるのは女性である。従って子供を作ることは女性にしか出来ないのである。そして男性をそれに協力し出来る限り安心して子育てできるようにサポートするのである。男が「男らしさ」に、女が「女らしさ」に目覚め、それぞれの役割をきちんと認識すればもっと良い男女関係が築けるのではないか。

最後に「責任を担う」とある。責任を担うということは分かりやすく言えば義務があるということである。最近の風潮は男女問題に限らず、権利ばかりを主張し、義務を果たさない人が増えている。「権利は義務を果たしてのみ初めて与えられる」という基本が理解できていない人が多すぎる。これは教育の問題をあると思う。

誰が考えても男と女で同じ義務があるとは思わないだろう。ということは男と女で同じ権利ということもありえないのである。ある権利を受ければそれに伴う義務が発生するのである。いやある義務を果たすと初めてある権利が与えられるのである。

行き過ぎた男女平等意識は男女ともに不幸な結果を招くことになるだろう。そもそも男女平等は何の為に必要なのか。この原点ともいえる議論を先送りして様々表面的な施策を行っても、「男女が共に幸せに暮らせる社会」は訪れないのではないでしょうか。

僕は私見として、日本人の場合は「男は男らしく」、「女は女らしく」振る舞い生きることが結局はお互いにとって幸せな結果になると確信している。長年連れ添った仲の良い老年夫婦のお話は聞くとそう思うのである。社会のグローバル化に従って欧米の文化を取り入れるものいいが、日本には日本の伝統と文化があるのである。争いを好まず何事も和(調和)をもって対処する。という誇り高き日本の伝統を絶やしてはならない。

男よ「オスに目覚めよ!!」。女よ「本当の男を知れ」

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15日は終戦記念日

15日は終戦記念日。各地でいろんな催し物が行われたようである。

僕の誕生日は1966年8月14日なので僕が生まれる20年と364日前に戦争が終わった。

今年はテレビでのほとんど戦争に関連する番組は放送されなかった。平和の象徴であるオリンピックの最中だから仕方ないのかもしれないが、二度と戦争を起こさないためにも少しは放送して欲しかった。唯一放送されたのがNHKでフィリピンレイテ島での激戦の記録だった。

戦争には反対。誰でもそう思うに決まっている。なのに世界中で戦争が絶えない。東欧の小さな国であるグルジアでの戦闘が続いている。欧米とロシアの代理戦争である。東欧での影響力を固持したいロシアと東欧を欧米側に引き入れたいアメリカ・イギリスの争いである。

人はなぜ戦争をするのか。どんな戦争であろうが戦争に正義はない。なのに戦争をする人間は必ず正義を口にする。正義とは何なのか。結局アメリカもロシアも正義とは自分の国に都合が良いことで、都合が悪いものは悪なのである。自由主義経済の名の下に強い者の欲が正義と呼ばれてしまうのである。

日本人もかつて戦争をして敗戦した。世界で唯一原爆の悲劇も体験している。それでも戦後みんなが一丸となって努力をして経済的には世界一豊かな国になった。でも武力は持たないと憲法で宣言しているのに自衛隊を作った。日本をどこへ向かおうとしているのか?

第二次大戦では敗戦国のドイツ・イタリア・日本のトップはどうなったか。ヒトラーは自害したと言われている。ムッソリーニは逃亡中に自国民に殺害され死体を野ざらしにされた。昭和天皇はGHQのマッカーサーに「私が戦争の全責任者で全ての責任は私にある。私はどうなっても良いから国民を助けて欲しい」と懇願した。逃げも隠れもしないで自分から敵のボスに会いに行ったのである。マッカーサーはその姿に「神をみたり」と言い、天皇を処刑せずに日本の象徴として生きるようにした。

生き残った天皇は戦後に復興のため、全国1400箇所以上を訪問して国民を励ました。もちろん丸腰での訪問である。しかし誰も天皇を殺そうとはしなかった。

日本人はもっと日本に誇りを持っても良いのではないか。日本の歴史を勉強すればするほど日本の素晴らしさがわかってくる。天皇にしても世界に類をみない154代2800年続く王家である。(世界第二位はデンマークで82代で800年)だからこそ敗戦国のトップで唯一生き残り、自国の復興のために力を尽くされたのではないか。

日本には素晴らしいものがたくさんある。この日本が経済だけでなく徳を持って世界のリーダーとなり声を大きくすれば戦争のない平和な世界が実現するのではないでしょうか。そのためにも徳を持った日本のリーダーが育たなければなりません。日本人一人一人が日本人であることに誇りを持ち、徳のある生き方を実践すれば少しずつ地域が変わり、国が変わり、世界が変わるのではないでしょうか。

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復活の日

二年間休んでいたブログを復活しました。最後に書いたのが2006年8月14日なのでちょうど2年ぶりです。おりしも今日は僕の誕生日。

二年間色々なことがあり、ブログはやめていましたが、思うところがあり復活しました。

ブログのタイトルも「日本男児の心意気」と改名し、今僕が考えていることやこれからやっていこうとしていることを書こう思ってますので、興味ある方はお付き合いください。

僕の仕事は経営者(俗にいう社長)ですが、それゆえに多くの悩みを抱えています。

しかし最近思うのは、経営者である前に人であるということ。人として正しい生き方が出来なければ正しい経営など出来るわけがない。また縁あって日本という国に生まれたわけですので、日本人として誇りをもって生きてゆきたい。

これがこれからの僕の生きてゆくテーマです。

最初からたくさん書くと後が続きませんので今日はこれくらいでおしまいです。

まずは復活バンザイ!!

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